「VULCANUS」(バルカヌス)―。
ローマ神話で「刀鍛冶と火の神」を表す。神話の中でバルカヌスは様々な神の力を最大限引き出す武器を作っていたという。今作にはそんな意味を込めた。
日本シャフトは3月、ドライバー用シャフトの新ブランド『バルカヌス』(8万8000円)を発売した。しかし一つ違和感を覚える。同社の製品には全て『N.S.PRO』がつくが、今作にはそれがない。一体何故なのだろうか?
今作の開発責任者で同社シャフトの製造拠点である駒ケ根工場の開発課・大畑亮太氏がその理由をこう語る。
「プロジェクトが始まったのは2年半前。私達開発課に課せられたのは『カーボンブランドの確立』でした。当社のイメージは良くも悪くもスチールです。もちろんカーボンでは『レジオフォーミュラ』シリーズがありますが、『N.S.PRO』がついていることもありスチールありきというイメージが抜けなかった。これを何としても払拭したかったのが大きな理由です」
そもそも日本シャフトはスチールとカーボンを両方手がける総合シャフトメーカーだ。しかし大畑氏が語るように同社には「スチール」というイメージが根強く定着している。それもそのはず、1999年に発売した『N.S.PRO 950GH』は累計販売数4500万本を超え、ほとんどのアイアンシャフトに装着されている。
2019年にはそれを継承した『950GH neo』を投入し、『850/750GH neo』を加えた『neo』シリーズはアイアンの新たなスタンダードを確立しつつある。さらに北米市場をターゲットに発売した『N.S.PRO MODUS³』(モーダス3)シリーズも累計1000万本を突破し、今やPGAツアープロの勝利に寄与している。それ以外にも軽量帯の『N.S.PRO ZELOS』シリーズなどモデルごとに特性を持たせ、日本市場における同社スチールシャフトのシェアは70%(GFK調べ)。北米でのシェアは19%(2019年時点・同社調べ)まで拡大した。
スチール市場において絶対的な立ち位置を確立する一方、前出のウッド用カーボンシャフトブランド『N.S.PRO Regio Formula』(レジオフォーミュラ)シリーズを市場投入し、競合の4大カーボンシャフトメーカーに勝負を挑んだ。しかし、市場には「日本シャフト=スチール」のイメージがあまりにも定着し過ぎていた。
そこで同社が考えたのは『モーダス3』とのマッチングを軸に『レジオフォーミュラ』を販売していく戦略だった。これは一定の成果を挙げるが、気づけばまたしても「スチールありき」になっていた。
強力なブランドは時として呪縛になり新境地を生み出しにくくする。同社の栗原一郎主査もこう語る。
「実はこれまでカーボンを売りに客先を訪れているのにいつの間にかスチールの話だけして帰ってきてしまうということもあり、もどかしさを感じていました。いつまでもスチール頼りではカーボンブランドを確立できない。であればいっそのこと『N.S.PRO』を外してしまえとなったのです」
とは言え開発段階で社内からは『N.S.PRO』を外すことの危険性が議論された。それだけスチール依存が染みついていたということにもなる。『バルカヌス』の燃え盛る炎のコスメは「N.S.PRO」ブランドからの脱却を決意した覚悟の炎でもある。
「飛距離」にかけた執念
『バルカヌス』に求めた性能は「飛距離」だった。前出の大畑氏はその理由をこう語る。
「ヘッドスピードが遅いユーザーの声を聞くと、一番の悩みはドライバーの飛距離不足と答えることが多いのです。実は入社した当時、私もドライバーの飛距離に悩んでいました。ところが『レジオフォーミュラMB』にリシャフトしたら冗談みたいな話なんですが飛距離が20ヤード伸びてゴルフが本当に楽しくなったんです。シャフトだけで飛距離が変わるんだと身をもって体験したんですね。こんな体験を多くのゴルファーに味わってほしかった」
同社の長年の研究によると、初速の4倍は飛ばせるという。例えばヘッドスピード40m/sでは246ヤードは十分飛ばせる計算だ。しかし飛ばないゴルファーはインパクトロフト、アタックアングルが理想値から離れてしまうことでスピン量が増加し、飛距離ロスに繋がっている。とりわけヘッドスピード43m/s以下のゴルファーにこの傾向が強いことが年間90回の試打会で分かっていた。
新ブランドの開発コンセプトはその2つを理想値にすること、つまりインパクトの効率を最大限にすること。そして対象はヘッドスピード43m/s以下のゴルファーに決まった。
カーボンシャフトは一般的に「曲げ剛性分布」と「ねじり剛性分布」(トルク)を変えて設計する。当初はこれらを変えながら試作品を作った。しかし、
「作ってはヒューマンテストを幾度となく繰り返しましたが、どうやっても5ヤードくらいしか伸びませんでした」
カーボンシャフトは設計自由度が高いと言われているが、今作のコンセプトはヘッドスピード43m/s以下の全てのゴルファーを対象にしているため軽量帯のシャフトになる。軽量帯はどうしても先端にいくほど細くなり軟らかくなる。必然的に強度を担保しなければならないため、曲げ剛性の設計自由度に制限がかかってしまう。
「従来の設計方法では限界を感じていました」
前述のように試作品でも5ヤードは飛距離が伸びている。妥協すればこのまま新ブランドとして発売することもできただろう。しかし大畑氏の脳裏には自らがシャフトで20ヤードの飛距離アップに成功した喜びがよぎる。初めて自らが中心となって開発を手がけるシャフト。
「5ヤードだけではゴルファーは飛距離アップを実感できない。やはり妥協は絶対にしたくない」
大畑氏は誰もがはっきりと体感できる飛距離差を出すことに執着した。前出の栗原氏はこう語る。
「実はこれまでの製品は最初のコンセプトを貫けたことは少なかったんです。実際に『レジオフォーミュラ+』シリーズに関しても『モーダス3』ユーザーを対象としているにも関わらず、女子プロやアベレージゴルファーにも売りたいから40g台をラインアップしています。突き抜けられなかった過去があるから今回こそはという想いが強かった」
しかしプロジェクト開始から1年半。既に試作品は15種類に及んでいた。いつしか社内からも「今回も『N.S.PRO』をつけた方が良いのでは」という声さえ出始めていた。
「つぶれ分布」という考え方
ある日、大畑氏は一つの可能性に着目する。それは「つぶれ」(偏平)という概念だ。実は同社は『レジオフォーミュラ+』シリーズを発売した際に既にシャフトの「つぶれ戻り」に着目しており、つぶれがシャフトのしなりにも影響することが分かっていた。
曲げ剛性、ねじり剛性に、この「つぶれやすい」、「つぶれにくい」という考え方を加えることで設計自由度が高まるのではないかと閃いた。そして大畑氏の狙い通りこの考え方が突破口を開く。
「シャフトの場所によってつぶれやすい箇所とつぶれにくい箇所を作ることで、強度を保ちながらシャフトのしなりを自在にコントロールできるようになったのです」
つぶれ具合の調整はシャフトの外径の太さと肉厚で決まってくる。つぶれにくくするにはシャフトの外径を細くして肉厚を厚くする。一方、つぶれやすくするには外径を太くして肉厚を薄くする。それをシャフト全長で細かく組み合わせていく。これは非常に高度で繊細な技術だ。
「この概念から当社は『つぶれ分布』という新しい技術を生み出しました」
一般的なシャフトは先端から手元にいくにつれてつぶれが大きくなるため緩やかな曲線になるが、今回の技術に辿り着いたことで極端な話、中間部だけを突出してつぶれやすくするなどが可能になった。これは現在特許申請中でつぶれ分布をシャフト開発に入れるのはもちろん同社が初めてのことだ。
そしてここから開発が急加速する。従来の曲げ剛性分布、ねじり剛性分布に、つぶれ分布を加えることで新領域の試作品でテストを繰り返していく。
「ドライバーでエネルギー効率の高いインパクトにするにはアッパー軌道が第一条件ですが、実はダウンが強いゴルファーが非常に多いのです。これによって打ち出しが上がり過ぎたり、スピン量が増え過ぎたりし、飛距離ロスに繋がっていました。アッパーブローにするには、アタックアングルを緩やかにする必要があります。そのために中間をつぶれやすくすることで、中間から先端を緩やかにしならせてアッパー軌道を作る必要があると思っていました」
逆に先端をつぶれやすくし過ぎるとアッパーが強くなり、やはり打ち出しが高くなりスピン量が増える。したがってつぶれ度をコンマいくつレベルで調整する作業を幾度となく繰り返していく。新領域での試作品は約15種類を数えた。
そして約半年前にようやく理想的な1本に辿り着く。ヒューマンテストの結果、最大で19ヤード飛距離が伸びていた。
3スペックに集約
そしてついに完成した『バルカヌス』は30g台(V300)、40g台(V410)、50g台(V520)でいずれもワンフレックスに決まった。さらにヘッドスピード別に対象ゴルファーを棲み分けており、具体的にはヘッドスピードが①43m/s~39m/sは「V520」、②39m/s~35m/sは「V410」、③35m/s以下は「V300」を適正スペックに設定した。たったの3スペックとは実に潔い。それだけ同社の今作にかける自信が見て取れる。
「今作はヘッドスピード43m/s以下の全てのゴルファーが対象ですが、女子プロのようにヘッドスピードに対して最大飛距離を出せているゴルファーもいます。正直言うと、既に効率の良いインパクトを作れている方は今作を使っても飛距離は変わりません。ただ大多数のゴルファーが飛距離ロスをしていますので、結果的には多くの方に恩恵をもたらすシャフトになると自負しています」
今作はしなり方や振り心地には一切アプローチしておらず、メーカーからも謳わない。ただし自分自身でスイングを変えずとも自然とシャフトが効率の良いインパクトに導いてくれるモデルに仕上がっている。
「それぞれのゴルファー専用の『武器』のようなシャフトです。『バルカヌス』というブランド名にはそんな想いも込めています」
既に一部の専門店や工房からの評価も高く、「ようやくまともにフィッティングできる突き抜けたシャフトが出てきた」という声が上がっているという。
「『飛ばないのは自分の技術のせいだ』と思ってしまうゴルファーが大多数ですが、もっと道具のせいにしてほしいんです。シャフトで飛距離が変わるということを実感してもらえると思います」
飛距離アップへの執念から生まれた新ブランド『バルカヌス』。勝負の舞台は整った。『N.S.PRO』からの真の脱却はこれからだ。